第一章 彼女の正体は。

 実は、彼女の正体は女忍者で、いわゆるスパイというやつである。
 ダルカスとモウエンの二人の情報を調べるためにとあるところから遣わされてきた存在だった。
 よくあるパターンではあるが、子供のころから潜入先で暮らし、その地域に馴染むことで周りの人間に本当の正体を悟られにくくする、というものである。
 ダルカスは、時々モウエンが彼女と親しげに話をしているのを好もしく見ていたのだが、ある時彼女が一人でいるときに、咄嗟に取った行動で、彼女の正体に気づいてしまったのだ。

 ダルカスは、その後、モウエンを呼び出した。
「モウエン、ちょっと話がある」
「はっ、何でございますか」
「うん、話というのは他でもない。お前がこの頃親しくしているあの女性のことなんだがな……」
 ダルカスの口から例の女性のことを言われ、モウエンは顔を真っ赤にして平身低頭した。
「あ、は、ご存じだったとは……。も、申し訳ございません!」
 その姿を見ながらダルカスは明るくこう言った。
「何を謝っているのだ。別に何も悪いことをしているわけではないのだから。
あの女性と組んで、俺を毒殺している計画でも立てた、というのなら話は別だがな?」
 そう言われたモウエンは顔を上げ、ダルカスの言葉を否定した。
「ご冗談を。このモウエン、主と思うてお仕えしておりますお方に対して、そのようなふるまいをするなど、ありえませぬ!」
「分かっている。そこは安心しているとも。まぁ、何しろ俺の持っている知識や技術はすべてお前が教えてくれたのだから、かなうはずがないのだよ」
「いえいえ、ダルカス様はとうの昔に私を超えておられます」
「まぁ、その話はさておきだ。
 さっき言った例の女性のことなんだが……」
 一瞬、口ごもるダルカスを見て、モウエンがその先を促した。
「はい、何かございましたでしょうか?」
「うむ。お前はあの女性が何者か、わかっているのか?」
「と、申しますと……?」
 いぶかしげにダルカスにそう尋ねるモウエンの目を見ながら、ダルカスはうなずいた。
「あぁ。そう返事をするということは、分かっていないようだな。」
「どういう意味でございましょうか」
「あの女は、我らを探るためにこの土地にきておるのだぞ?」
 思いもかけないダルカスの言葉に、モウエンは心底驚いた、という顔をしていた。
「えっ、我らを? し、しかし、小さいころからこの都で暮らしていると申しておったのですが……。」
「なるほどな。用意周到だの、相手も。
どこの誰が送り込んできたのかは分らぬが、なかなかのやり手よ。
小さいころからこの地で暮らしていれば、周りの者たちとも親しくなれる。そうすれば、成長して大きくなったところで、周りの者はその者になにも違和感を覚えぬ。」
と、いきなり話を始めたダルカスの言葉が理解できない、とモウエンはただ首を横に振っていた。
「仰っていることの意味がよく分からぬのですが……。」
「そうだろうな。」
 と一言いうと、大きく息を吐きだし、ダルカスは続けた。
「例えばの話だ。
人間の体内に異物が侵入したとする。
その異物が、体内で処理してしまえるくらいの大きさの物であれば、侵入した当初は、体が異変を感じたとしても時がたてば、体になじんでしまうから問題にはならない。
指にとげが刺さった時でも、もしそれが抜けなかったり、抜けきらずに一部が体内に残ってしまった時も、最初のうちはチクチク痛みを感じるが、しばらくするとそれに慣れてしまうだろう?」
「は、はぁ……。」
「だが、もしその小さな異物が、体内にとどまり、そのまま体内で大きくなり、その異物が体に何がしかの影響を及ぼすようになったとしたらどうなる?」
「どうなるのです?」
「体は、すでにその小さな物体を異物として認識することができなくなっているので、自分の体自体がおかしくなったと思い、戸惑うのだ。
まぁ、要するにこういうことなのではないかと思うぞ、あの女性が子供のころからこの都で暮らしていたのは、な。」
「まさか、そんな……。」
「まぁ、俺も本人に直接確認したわけではないのだが。
とはいっても、そんな人間が、問い詰められたくらいのことで簡単に自分の正体を明かすとも思えん。」
「あいつが……。そんな……。」
 ダルカスの一言一句が信じられない。
 だが、考えてみれば思い当たる節がないわけでもない。
 戸惑いを隠せないでいるモウエンに、ダルカスがつぶやくようにこう言った。
「まぁ、別に聞かれて都合の悪いことは何もない。
企みがあるわけでもないのだしなぁ。
第一、彼女だってわれらの情報が何も流せなければ、任務が全うできないだろうから、いいのではないか?」
 朗らかにそう言うダルカスに対し、モウエンは少し焦った様子でこう答えた。
「し、しかし、それでは……。」
「モウエン、お前があの女のことをどう思っていても、俺は一向に構いはしない。
彼女の正体を調べろというつもりもないしな。」
 その言葉に驚くモウエン。
「ダルカス様?」
「どんな思いがあるにせよ、女が男に惚れるということは、よいことだと、俺は思うのだ。」
「ほ、惚れる?」
「うむ。何らかの任務で、ここに暮らしていて、我らのことを調べないといけないのだとは思うが、彼女だってお前と言葉を交わしていくうちに、人としてのすばらしさに気が付いたのではないのだろうか。」
 ダルカスのその言葉に、顔の前で手を振ってそれを否定する。
「そんなことはないと思うのですが……。」
「いやいや、長年、いろいろとみてきている俺が言うんだから間違いはないと思うぞ?
モウエン、お前は自分が思うより、いい男だと思う。」
「いい男? それはダルカス様のことでは……。」
「俺のことなどどうでもよいのだ。
それよりモウエン。おまえ自身はどうなのだ、あの女に対して。」
 いきなりダルカスにそう聞かれ、モウエンは口ごもりながらも答えた。
「どう、といわれましても……。」
「正直に答えてよいのだぞ。
それとも、俺が彼女のことを話したから、嫌気がさしたか?」
「そ、そんな……。ダルカス様ともあろうお方が、何と意地の悪い聞き方を……。」

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